pgrobertのブログ

好きな音楽や美術について。ときどき脱線。

嵐の曲に“「自己肯定感」「自分らしさ」とは何か”を見る③

9. むかえに行くよ(作詞:マシコタツロウ、2010)

「僕が選んだ毎日なのに 迷ったりヘコんでみたり」しているので、過去の自分(=「写真の中の無邪気な僕」)に何を言われるか分からないけれども「あの頃に負けないように」「明日の僕をむかえに行く」という風に、過去に縛られる部分がありながらも、未来を目指していく語り手の姿が描かれています。
同時に、「カッコつけても涙みせても それが本当の僕だから」と、「僕が僕のすべて」で見られた、ありのままの自分を大切にする姿勢も見られます。


10. 果てない空(作詞:QQ、2010)

ドラマ「フリーター、家を買う」の主題歌だったこの曲。
「泥だらけの毎日」とか「呆れるほど不器用」とか、挫折のようなことがあるかもしれない。それでも「いまさら悩んだりは」せずに「ありのままを信じ」「素顔のまま微笑んで」、「何度でも/やり直」して「もう一度/立ち上がろう」。
そんな風にやはりありのままの自分を大切にしながら、目指すものに向かっていこうという思いが語られています。これも「僕が僕のすべて」の延長上の姿勢と言えます。


11. まだ見ぬ世界へ(作詞:Soluna、2011)

「あの日の僕らの声がする to the top 明日が動き出す」と、これもまた「むかえに行くよ」のように、「過去から未来」の流れが見えます。そして「いつもここにいる 僕らがすべて/everyday every night everywhere いつだってそう」と「僕が僕のすべて」の延長と取れる「今ここにいる」自分の意識がここでも見られます。ただ、目指すべきものは「見えないもの」で「いつか辿り着く場所」と、具体的なものではないこともうかがえます(そもそもタイトルが「まだ見ぬ世界へ」ですもんね!)。


12. ever(作詞:作田雅弥、alt、2012)

「僕らはゆずれぬ思いを 抱えながら生きてる」から「まだ胸の奥」に「燃え続けてる 灯で明日を照らして」「終わりのないこの旅路を 共に歩いて行こう」というような「Everything」の延長といえる姿勢が見られる一方、「等身大の僕はどんなだっただろう」とありのままの自分を見失う姿も見られます。


13. Breathless(作詞:HYDRANT、2013)

「何を求め どこへ行くのか」分からずに「無限の迷路に」「彷徨」いながらも、「自分だけに 刻まれてる DNA」を「確かめたい」し「生きる自分の姿を 探し続けて」「もがいて」「叫んでいる」語り手の姿が描かれています。とにかく「今ここ」のありのままの自分を追求したいという姿勢だと言えるでしょう。


14. もっと、いまより(作詞:youth case、2014)

「どんなときだって 変わらぬものがあるはず」だから、「この場所から見える 未来を確かめにゆく」。
一方で「これから先 何が起こるのだろう?」と「考えたって分からない」けれど「いま僕が踏みしめるこの道を ただ真直ぐに 歩き続ける」し、「流れる時間の中」で「確かなこと」は「ただ僕はここにいる」ことだと、語り手は言います。やはり「僕は僕のすべて」同様に「今ここ」の意識を持っていることがわかります。


15. おかえり(作詞:杉山勝彦、2014)

この曲ではまず「『申し訳ありません』と 何度も頭を下げた/慣れない仕事からの帰り道」に「悔しくて涙が零れた」語り手の姿が描かれています。
そして「家族思いの君に 心配かけないように/無理に明るい笑顔浮かべ家のドアを開け」て「何もなかったふりして 『ただいま』と言」ったら「いつも以上に優しく」「君」が微笑んで「『おかえりなさい』」と言ってくれる。そんな「君の声は この場所をホームに変える魔法」であり、その声で「ネクタイじゃな」く「胸に仕舞われた 本当の僕」が「解かれ」る。つまり、無理をして隠していた「本当の自分」が「君」によって表に出てきた、ということです。
さらには、「優しいだけじゃ 生きてはいけない社会で/本当の僕が誰かを 君が教えてる」うえに、「大切なものは 探すものじゃな」くて「気が付けば そこに光ってるもの」だという。ここで語られているのは、「本当の自分」が他者との関わりの中で生まれるということ。またそれは、「今ここ」でのありのままの自分なのです。


To be continued...