Mステ2時間SPでSakuraが披露されてましたね。
これまた数年前に「『Japonism』に見る嵐の『保守青年』ぶり」という論文(未完)を書いたことがあって、今回はそこから抜粋してきた記事です。まだ「自己肯定感」シリーズは終わってないですが、いいタイミングのような気もするので……
(文体はブログ向けに改めました)
まずは前提として、そもそも「保守」とは何か。
現代の日本においては、「保守」という言葉を聞くと、「エレベーターの保守点検」のような使い方よりも、いわゆる「保守派」をイメージすることの方が多いでしょう。戦後日本では「右翼」とほぼ同義で用いられ、時には「ナショナリスト」とされることもあります。
確かに「右翼」「左翼」という言葉の誕生を振り返れば、フランス革命において国王派=右翼、急進派=左翼とされたのが始まりなので、「右翼」=「保守」というのは間違いではありません *1。しかし戦後の日本では、社会党に対する自民党を指したり、朝日新聞に対する産経新聞を指したり、「右翼」(あるいは「右」)というと“日の丸・君が代・天皇・靖国”がイメージされたりする*2など「異質」な状態がありました。
ところが本来「保守」とは、「自分が属する社会、あるいは国家の歴史や伝統に対し、愛着と尊敬の念を持ち、それを積極的に維持しようとする」*3 ことを指します。このことから本記事では、「保守」を「『伝統』を大事にし、発展・継承しようとする態度」と定義することにします。
さて、嵐の所属するジャニーズといえば「少年倶楽部」や「カウントダウンコンサート」に見られるように、後輩グループが先輩グループの曲を歌う場面がよく見られます。それは「これまでのグループが作ってきた歴史を踏まえ、過去の遺産を伝承することが、何よりも重視されてい」る*4からで、まさに「伝統」を大事にする「保守」的態度といえるでしょう。
嵐について言うと、2002年に発表された「a Day in Our Life」では、少年隊の「ABC」がサンプリングされています*5。先輩の楽曲にリスペクトを払いつつ、自らの新たな楽曲へと昇華する……これもまた「保守」的態度と言えます。
ひと区切りつける前に、今回のテーマである「Japonism」についても確認しましょう。
そもそも「ジャポニズム(ジャポニスム)」といえば「19世紀後半から20世紀初頭の欧米において、日本の文化、なかでも美術工芸品を愛好し、作品や生活に取り入れていこうとした潮流」 を指します。
今回のアルバムに関していうと、デジタルと人間的なものの視覚化や、最先端のテクノロジーを盛り込んでライブを行った「THE DIGITALIAN」から離れ、日本ということに目を向けたり、ジャニーズでやってきたこと、〝原点回帰〟を意識してやってみたら逆に新しく見えるのでは、というところから始まったようです。
実際の楽曲でそれがどのように見られるか確認していきましょう。
To be continued...
*1:浅羽通明『右翼と左翼』幻冬舎新書、2006、pp.50-75などを参照
*2:実際自民党は「保守政党」とされていいます。他は浅羽前掲pp.22-27を参照
*3:佐藤健志『愛国のパラドクス―「右か左か」の時代は終わった』アスペクト、2015、p.95
*4:大谷能生、速水健朗、矢野利裕『ジャニ研! ジャニーズ文化論』原書房、2012、P.7
*5:「a Day in Our Life」を作詞・作曲したSHUNとSHUYAはスケボーキングのメンバーで、この曲より以前(2001)、「ラブストーリーは突然に」(小田和正)をサンプリングした「TOKIO LV」という曲をスケボーキングとしてリリースしていました