pgrobertのブログ

好きな音楽や美術について。ときどき脱線。

嵐「Sakura」について。【「Japonism」レビュー②】

嵐のアルバム曲がサブスクで開禁されましたね。

自分が好きなアルバムは「Japonism」なのですが、その楽曲をいくつか取り上げて掘り下げるシリーズをやりたいと思います。↓の続きです。

 

pgrobert.hatenablog.com

初回は「Sakura」。あ、ウロボロス系の話は全く出てきません。笑

「歌詞解釈するとこんなことも言えるんじゃ?」というお話。

 

さて、「桜」と言えば古くから日本人の心象風景と深い関わりのある花。春になって桜が咲くと何となくそわそわした気分になるという人も多いのではないでしょうか。
それは昔の人も同じだったみたいで、遡ること平安時代にまとめられた『古今和歌集』には、こんな和歌があります。

 

世の中にたえてさくらのなかりせば 春の心はのどけからまし

 

これは在原業平によるもので、人々が桜を愛でることについて逆説的・反語的に表現したものです。『古今和歌集』は平安前期の成立だから、そのころから日本人にとって桜とはそういう存在であったことがこの和歌から分かります。

咲いたと思えば儚く散ってしまう、そのような桜の姿・イメージは、武士道と結びつきました。『仮名手本忠臣蔵』で「花は桜木、人は武士」と言われたように、桜のように美しく咲き、潔く散ることこそ、武士の生きざま、死にざまでなければならないとされたのです。
新渡戸稲造『武士道』でも、「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」 とされました。さらにヨーロッパの薔薇と比較して、桜がいかに日本の国民性に合致するか、ということが述べられています。
そして戦時中にもなれば、軍国主義と結びつくのはある意味当然だったかもしれません。
というのも、先ほどの「花は桜木、人は武士」が発展した「花は散り際、武士は死に際」という言葉が、軍人美の本質を突く言葉として受け入れられたからです。例えば、良寛の「散る桜 残る桜も 散る桜」は彼自身の辞世の句ですが、特攻に向かう兵士の心情を読んだものとしてももてはやされたし、「同期の桜」 も有名ですね。

 貴様と俺とは同期の桜
同じ兵学校の庭に咲く
咲いた花なら散るのは覚悟
みごと散りましょ国のため(一番)

貴様と俺とは同期の桜
離れ離れに散ろうとも
花の都の靖国神社
春の梢に 咲いて会おう(五番)

 

当時特攻隊の若者にとって「桜とは、美しい祖国日本そのものであり、またその祖国に暮らす愛しい人々にほかなら」ず「その美しい祖国と愛しい人々を護るために、彼らは進んでその尊い一命を捧げ」ました。
「この時、彼らは祖国の再生を信じて、あるいは熱望して、桜のように潔く散って征」ったのです。「桜の美学とは散華の美学であると同時に再生の美学でもあった」 。そして彼らはその辞世の句で、桜を詠み込むことが多々ありました。

大君の辺にこそ散らん桜花今度咲く日は九段の社(嶋村中)
皇国よ悠久に泰かれと願ひつゝ桜花と共に靖国に咲く(高野次郎)
桜花と散り九段に還るを夢に見つ鉄艦屠らん我は征くなり(浅川又之)

「同期の桜」でも言われている通り、散華したら「靖国の桜の下で、また会おう」というのが、当時の兵隊の合言葉でした。そんな靖国神社の桜は、今でも桜の開花宣言に使われています。
桜と愛国心が交わる場所……戦後、桜や靖国神社が「軍国主義の象徴」として忌避されるようになったのも、やはり当然だったかもしれません。ただ、桜は日本人の心象風景と分かちがたいがために、その「忌避」というのもあまり長くは続かなかったようです。
というのも、現在のJ-POPでは、「桜」とタイトルにつく曲が本当に多く、タイトルとして「桜」が単独で使われているものだけでも、森山直太朗さくら(独唱)」(2003)、コブクロ「桜」ケツメイシ「さくら」(2005)、いきものがかり「SAKURA」(2006)といった曲があります。
そして「桜」がタイトルに含まれている曲になると、福山雅治「桜坂」(2000)、宇多田ヒカルSAKURAドロップス」(2002)、関ジャニ∞「桜援歌(Oh!ENKA)」(2005)、ピコ「桜音」 (2011)、GReeeeN「桜color」(2013)など、枚挙にいとまがありません。

 

さくら さくら 今、咲き誇る
刹那に散りゆく運命と知って
さらば友よ 旅立ちの刻 変わらないその想いを 今

さくら さくら ただ舞い落ちる
いつか生まれ変わる瞬間を信じ
泣くな友よ 今惜別の時 飾らないあの笑顔で さあ
(「さくら(独唱)」作詞:森山直太朗御徒町凧

さくら散る頃 出会い別れ
それでも ここまだ変わらぬままで
(「さくら」作詞:ケツメイシ

桜咲いて春が来ました 喜び咲かせます
いつか風に散ってゆきます だから生きるのです

ア~ 浮き世のさだめと 吹く風にこの身任せ
いのち一途に ただ咲かせる花であれ
桜咲いて春が来ました いのちが目覚めます
どんな冬も春になります 桜が歌います
(「桜援歌(Oh!ENKA)」作詞:MASA

 

これらの楽曲からは、典型的な桜のイメージに乗せて、「出会いと別れ」「再会と旅立ち」といったものを重ねていることが分かります。


前置きが相当長くなってしまいましたが、そんな「桜」をそのままタイトルに据えた「Sakura」 (作詞:eltvo)のお話です。

いつか  僕らが世界を変えていくなら
またどこかで生まれてく
与えられた現在を  託された未来へ

そして  明日も何かを探し続けて
何度だって脱ぎ捨てる
始まりを告げて いつまでも いつまでも この心に響け

サビで歌われるこの情景は、まさに典型的な桜のイメージと合致するものです。
一気に咲いたと思えば散っていく。だが、一度咲けば「またどこかで生まれて」いく。
そこにあるのは「過去・現在・未来」の連綿とした繋がりなのです。

So let me high 花びらが舞って 麗しく
新たな季節へ ここから踏み出した
Don't say goodbye 光を繋いで 会いに行く
だから確かめるよ

2番Bメロではまたしても「散る桜」のイメージが登場し、その上に「旅立ち」のイメージが重ねられています。
3行目の「Don't say goodbye」――「さよならと言うな」(もしくは、主人公が「さよならなんて言わない」)というフレーズからは、「靖国でまた会おう」という「同期の桜」が重なって見えます。
この後のサビで「もしも あの日と変わらぬものがあるなら/またどこかで会えるはず」という歌詞が歌われていますが、まさにそういうことではないでしょうか。
この曲全体では、生と死/再生というテーマが見え隠れしますが、それが桜と重ねられることで妙な「生々しさ」を感じさせるものとなっています。

 


To be continued...