〈以下、本文の引用等を含みます。〉
櫻井くんが再びNewsweekに寄稿。それも、前後編に分かれて2週連続で。文字数は前回の震災ドキュメントの倍を超える2万5000字。
前回の震災ドキュメント1万字・9ページでも驚いたのに、今回は2万5000字・計20ページ。
多忙な櫻井くんがこれほどまでに多くを綴ったのは、ひとえに太平洋戦争で戦死した大叔父さんの足跡を辿るため。生前彼に関して多くを語らなかったお祖父さんが、なぜ口を閉ざしていたのか、その理由を辿るため。
ところで、本題に入る前に。
今回の寄稿やnews zeroでの例の質問に関して、「アイドルごときがキャスターやってるのがそもそも間違い」みたいな評が多々見られました。でも、櫻井くんはそういうことに関しても元々自覚的です。
例えば、「Anti-Anti」*1(2004)では、
「あぁ? 嵐? いや、キョーミないっすね」
「ジャニーズでHIPHOPっつーのもねぇ」
という「街の声」に対し
「ならアイドルがどれほどか見せてやるよ」
という宣言で曲が始まります。
そして、
あぁもういい外野黙ってな
そこの飲み屋でIZM語ってな*2
まるで足んねぇな 立てるアンテナ
君ら見てるのそれは明後日だってんだ
(略)
たかがアイドル 風情がタイトル奪い取る
最速で奪い取る*3
と「たかがアイドル風情が」というアンチに対する「アンチ」が語られます。
また、「Hip Pop Boogie」*4(2008)なら、
大卒のアイドルがタイトルを奪い取る
マイク持ちペン持ちタイトルを奪い取る*5
hip-pop beat yo ステージ上終身雇用道なき道を歩いてく
迎合せずただマイペース
(略)
これが最初のタイトなパイオニア
きっと笑うぜ最後には*6
これが最初で最後のパイオニア
きっと笑うぜ最後には
飾りでなく 外野黙り込む lyrical idol 辺りを巻き込む
という風にラップが綴られます。
ジャニーズでずっと自らラップを書いてきたという意味でも「パイオニア」、大卒ジャニーズという意味でも「パイオニア」、そしてジャニーズのキャスター/コメンテーターという意味でも「パイオニア」。
そうやって道を切り開いていった結果、今回は前後編に及ぶ2万5000字・計20ページの「戦争の記憶」を辿る寄稿。櫻井翔という人は、本当に凄い人だと思います。
さて、今回の寄稿の前編はドラマ「ブラックボード~時代と戦った教師たち~」の振り返りから始まり、幼少期の回想へと繋がります。こうして、群馬の祖父母の家に飾られていた写真の中の人物、櫻井次男氏の足跡を辿る櫻井くんの調査が幕を開けます。
遠いこと、自分とは関係のないことだと感じていた「戦争」が、「自分はもしかしてこの人の遺族なのでは」と気づいた瞬間に白黒の世界から色鮮やかなカラーの世界になったという感覚の描写は鳥肌ものです。
そうしてまず元新聞記者だったお祖父さんが遺していた大叔父さん・櫻井次男氏に関するあれこれからその調査がスタート。ついで、次男氏が任ぜられていた短期現役主計科士官、通称「短現」とは何ぞやという話からの、そんな彼が戦没するまでの当時の様子が綴られていきます。
この次男氏が憑依したかのように書いていったという第3章は一方で、当時の日本の戦況も随所で同時に語られるので次第に心も重くなってくる部分です。
そして後編。
まずは次男氏の戦没場所とされていた「東支那海」は間違いだったと分かるところから始まります。
そもそもこの戦没場所に関する調査はドラマ「ブラックボード~時代と戦った教師たち~」の頃(2012年)から始まっているので、足掛けおよそ10年にも及ぶものだったことに暫し言葉を失います。この執念たるや。
そして精査の途上で発覚した、次男氏はもしかしたらほんの数日の差で戦死しなかったかもしれなかったという事実。まさに「生きるも死ぬも紙一重の差であった」という事実。それが76年前の若者の「青春」のさなかにあったという事実。これらが重くのしかかってきます。
だからこそ、戦後の「短現」の人々の絆は固かった。たった数ヶ月一緒に過ごしただけでも、生きるか死ぬかの瀬戸際に立っていた人々だから、そして生き残った側も戦死した側も一蓮托生だったから……
今回の寄稿のなかで個人的に白眉だと思うのが、最後の第6章。
編集部から櫻井くんの元に送られてきた衝撃的な「沈みゆく海防艦」の写真。その写真の後で綴られる言葉。
深夜に開いた写真は、その真逆ともいえるものだった。資料の中で何度も目にしてきた「沈没」「撃沈」の2文字では、到底知ることのできない、あまりにも残酷で、悲惨で、壮絶な「死の瞬間」。
戦争において「カッコいい」なんて、とんでもないまやかしだ。ここに写る一人一人には、それぞれに想う家族がいて、それぞれの家族が内地で帰還を待っている。「敵」とされる相手方だって同じだ。
あくまで記録の上では淡々と「数字」でしか表されないけれど*7、その一人一人には家族だって恋人だって子供だっていたはず。
そういう血の通った人間が一瞬にして数十人数百人数千人という単位で殺される戦争の残酷さ。
それがこの二段落に集約されています。
この部分を読んで、もし何かの歯車がずれていたら、自分はここに存在していなかったかもしれない。そんなことを改めて思いました。
自分の場合、祖父はまだ子供だったので戦地に送られることはありませんでしたが、一方で空襲*8の被害に遭いました。また、その空襲からの復興途上で、街は地震*9にも見舞われました。空襲・地震でもし祖父が亡くなっていたら今の自分は存在していなかったと思うと、ゾッとします。
話を元に戻すと、この二段落を読めば、先日のnews zeroで櫻井くんが吉岡さん*10にした質問の意図もよく分かります。
そもそも例の質問の前のやり取りが以下の通り。
「向かうときの気持ちは覚えてらっしゃいますか」
「機体から下を見ましたところ『ハワイだ!』って。するとすぐに全軍突入せよってなりました。翼のちょっとの間を顔を上げたら白い洋服を着た兵隊がたくさん乗っていた。それをちらっと見ながら操縦員が『よーい、射て』と言ったので、私が持っている魚雷を落とす投下索を引っ張って」
「そういうときお気持ちはどういう」
「魚雷を落としたからには、自分のは当たってもらいたいですよね。だから、そればっかり一生懸命やって眺めて。魚雷が当たったということで、非常に安心しましたけど」
命令に従っただけ*11とはいえ、目の前に敵兵がいるのを目にしているのに、魚雷を放つ。もちろん、こちらが攻撃しなければ逆に攻撃されてしまうのですが、それでもやはり
一人一人には、それぞれに想う家族がいて、それぞれの家族が内地で帰還を待っている。「敵」とされる相手方だって同じだ。
だからこそ、「戦時中というのはもちろんですけど、アメリカ兵を殺してしまったという感覚は?」という櫻井くんの質問が出たのだと思います。
それに対する吉岡さんの答えは、
「私は“航空母艦と戦艦を沈めてこい”という命令を受けているんですね。“人を殺してこい”ってことは、聞いていないです。したがって命令通りの仕事をしたんだ。もちろん人が乗っていることはよくわかっています。しかし、その環境というと私も同じ条件です。ですけども、それとは切り離すと、戦争はしちゃいけないということを一番身をもって知っているのは、私たちだと思っています」
これを以て「国のために戦った人を責めるような質問をして失礼だ」というのはあたらないと思います。別に責めたり非難している訳ではない。
当時まさに最前線で戦っていた人が、どういう思いでその戦いに参加していたか、ということが分かるとても貴重なインタビューになったと思うのです。
それに、批判のほとんどは感情論。しかも「国のために戦った人を人殺し呼ばわりして無礼すぎる」みたいな意見に関しては、そもそも櫻井くん自身は「人殺し呼ばわり」していない。しかも言ってもいないその言葉で一斉に批判される。この状況に違和感を覚えるのは自分だけではないはず。
さらに「戦争のことをよく知らないくせに」という意見もよく見かけました。でもこの言葉は本来なら戦中世代しか使えないですよね。戦後生まれは太平洋戦争を経験していないのだから。「経験していない=よく知らない」になりますよね? 櫻井くんは戦後生まれだけど真摯に戦争と向き合っているというのは今回の寄稿でよく伝わりました。
さらに言えば、批判している人はこのインタビューを全部見たのだろうかというのも疑問です。news zeroの公式Twitterが上げていた「戦時中というのはもちろんですけど、アメリカ兵を殺してしまったという感覚は?」の部分だけ見て「酷い」と言っているのではないかと思わざるを得ません。なぜ自分がそう感じるかといえば、よく「切り取りで批判するな、全体を見ろ」と言っている人たちがまさに公式の切り取り動画で批判しているように感じられたからです。*12
自分は、前回の震災ドキュメントが3.11から10年という節目、そして今回の寄稿が太平洋戦争開戦から80年という節目で書かれていることの意味を改めて噛みしめたいと思います。
※前回の震災ドキュメントについての記事はこちら。
pgrobert.hatenablog.com
前回の3.11に関する寄稿は9ページ・1万字。今回は前後編に分かれて2万5000字。しかも前編だけで12ページ。
— pg.rt. (@pgpsbrobert) 2021年12月8日
多忙な櫻井くんは一体どうやって執筆の時間を捻出しているのだろう……そして相変わらず、文章が上手くて引き込まれる。#Newsweek #櫻井翔の2万5000字 #櫻井翔 pic.twitter.com/JCys0IOTvQ
そして後編8ページ。計20ページで2万5000字。
— pg.rt. (@pgpsbrobert) 2021年12月14日
第6章が白眉。zeroでの例の質問も、ここを読めばその意図が氷解する。
さらに映画宣伝のための移動中の飛行機内、さらにはCM現場でも執筆していたというその姿勢に舌を巻く。そうやって時間を捻出していたのか……#Newsweek #櫻井翔の2万5000字 #櫻井翔 pic.twitter.com/k2v8prhTz0
*1:ライブのみで披露、音源化はされず。
*2:直接関係ない話ですが、「黙ってな」「語ってな」という真逆の言葉で韻を踏んでいるのが面白い。
*3:「アイドル」「タイトル」「(う)ばい取る」「最速」と韻を畳み掛け。
*4:アルバム「Dream "A" live」収録。
*5:「大卒」「アイドル」「タイトル」「(う)ばい取る」でまたも韻を畳み掛け。
*6:「最初」「タイト」「パイオ(ニア)」「最後(には)」で踏まれる韻。ここでもまた「最初」「最後」という真逆の言葉で踏まれています。
*7:同じようなフレーズ、どこかで目にしたような……
*8:1945年7月19日の福井空襲。Wikipediaによれば「福井市街地の損壊率は84.8%で人口103,049のうち罹災者85,603、世帯数25,691のうち罹災世帯は21,992にのぼった。死者は1,576人(女915人、男661人)にのぼり、重軽傷者6,527人で内108人はその後死亡した」
*9:1948年6月28日の福井地震。福井地方気象台HPによれば、M7.1で当時の最大震度6を記録し、全壊35,382戸、死者3,728人。戦後に起こった地震の中では、東日本大震災、阪神・淡路大震災に次いで3番目に多い死者数。この福井地震をきっかけに震度7が震度階級に加わった。
*10:吉岡政光さん、103歳。元日本兵で真珠湾攻撃に従軍。
*11:まさにミルグラム実験/アイヒマン実験を地で行くような話。
*12:インタビュー全体は、書き起こしをこちらで見られます。 →「真珠湾攻撃から80年…103歳の元搭乗兵が語る」https://www.ntv.co.jp/zero/do-suru/articles/aygnyttho12yg0h8.html