pgrobertのブログ

好きな音楽や美術について。ときどき脱線。

嵐の曲に“「自己肯定感」「自分らしさ」とは何か”を見る①

自分が大学生だった時の話。

私が通っていた専攻では、専攻内で「サブゼミ」なるものがありました。教授なしで、学生のみで運営するゼミ。自分が在籍していた時で12の分科会がありました。

そのサブゼミの活動の中に「希望者が論文を執筆する」というのがありまして、4年生の時に書いた、嵐とポルノグラフィティの楽曲と自己肯定感との関わりを調べた論文から嵐の部分を転用して、何回かに分けてお送りします(文体はブログ向けに改めました)。
「なんであの曲が入ってないの?」みたいな感想もあるかと思いますが、そこはご容赦ください……



1. 君のために僕がいる(作詞:大倉浩平、2001)

この曲の中で、「くやしい気持ち たくさん感じてき」て、「いつまでもできない 自分に涙こぼした」語り手は、「明日のために 今日がある」から「がんばるさ!負けないのさ」と「君」に対して「約束だよ下を向かない 努力おしまない」と前向きに宣言しています。


2. とまどいながら(作詞:オオヤギヒロオ、2003)

「思い出の中にいつしか 生きている」語り手は「きまぐれな未来きっと/手に入れるために」「不確かな道探して/ためらいがちに走り出す」のだといいます。つまり、過去に束縛されて“確かな自分”を描けずにいる状態にいるということです。実際、「思い出の中にいつしか 生きている」とか「昨日より今日が少し つまらなく思えて」いたりとか、「あの頃の微笑みを 見せたい」とかいう語り手の様子が曲中で描かれていることからそれはうかがえます。


3. できるだけ(作詞:相田毅、2003)

「あの店のケーキ」や「学生の時は パッとしなかった奴」など「変わっていくもの」を受け入れる一方で、「変わらないものを笑うくせに」「変わっていくことを何故/僕らは恐れるのかなぁ」という語り手の葛藤が描かれ、同時に「できるだけ僕のままで/いたいと思う気持ちは/甘えか 自分らしさなのか/わからないけれど」と「とまどう」様子も見られます。つまり、「とまどいながら」の延長線上にあると言えるでしょう。


4. Carry on(作詞:村野直球、2007)

アルバム『Time』収録のこの曲では、これまでの延長とも言える姿勢が見られます。つまり、「ぼくら迷いながら」「どこに行く途中だろう」、「ぼくら流されて」「どこにたどり着くの」と「とまどいながら」に見られるような葛藤が見られるのです。
しかし「自分を疑う 弱さだけを/抱き締めたまま また歩いて行く」と言う一方で「自分を信じる強さだけが/未来の扉 こじ開けていくさ」と自分の弱さも強さも客観的に捉えていこうとする、「とまどいながら」「できるだけ」のどちらも越えていこうとする姿勢が見られるようになります。


To be continued...